閾値

人によって驚くほど判断の閾値が異なることが分った。
感情優先の人間と、論理優先の人間とでは判断基準が違うよねというのは、ここ数年いろんな局面で見てきたことだが、ここまで違ってくると、なんか同じ生き物じゃないんじゃないかというぐらい面食らって、腰が抜けそうだ。


どうしようもなくプロセス軽視のあのPGやあのSEたちが居て、彼らほどプロセス軽視な人も居ないのだが、彼らは自分では、ダメなヤツはプロセスを見ないとか、他人は結果しか見ないけど仲間はプロセスを見てくれると言っている。


オイオイ、あれだけプロセスを無視しておいて何を言ってるんだ?
と最初は理解不能だったが、読み解くうちに段々分ってきた。彼らはプロセスや結果を見ているのではなく、それをアウトプットした人間だけ見ているのだと。




仲間だからプロセスを見てもらえるということではなく、仲間のプロセスしか見ないということ。
他人のプロセスは無視しているというか、そもそも眼中に入っていない。


自分に近しい人、好きな人のやることについては、プロセスから結果までべったり見るが、関係性が遠い他人や嫌いな人がやることについては、関係せざるを得ない結果の部分を最小限だけ見ている。


なので、彼らの自分視点で考えると、自分の身内がやることについてはプロセスをがっちり見ているから、自分達はプロセスを重視しているということになる。


で、関係性が低い他者たちは、自分達のプロセスを見てくれないから、あいつらはプロセスを見ないダメなヤツらだと言っている。


アホか。なんという我が侭。と思えるが、彼ら自身の内側の論理としては、自分らはプロセス重視、他人たちはプロセス軽視ということで矛盾は発生していない。いかんともし難くスコープは狭いが。




システム屋たるもの、職業的技能として、他人が作ったものほどプロセスを検証しないといけない。
信用できる身内がやったことならば、いちいちプロセスの検証をするのは無駄なコストなので、すっ飛ばしておいて結果が出る前提で段取りを進めたりもするが、他人がやったことは微に入り細に入り、プロセスをエビデンスと突き合わせて検証する必要がある。


それは他人は信用できないというのもさりながら、人や組織が異なれば、基準や持っている情報、技術レベル、表現の作法が異なるのは当たり前なのだから、異なる者同士の間ほど、情報共有や検証を密にしないといけないからということ。


好きな人だからたくさんコミュニケーションしたいとか、嫌いな人とはなるべく口を利かないという基準でやっていては、まず間違いなくそのシステムはバグる。




好きな人とはたくさんイチャイチャしたい。嫌いな人は避けたい。って基準でやっていれば、そりゃ他人のプロセスは一切見ませんということになるだろう。


そもそもプロセスと結果の間に区別はない。プロセスを積分したものが結果であり、どの時点を区切って抽出して結果と見なすかは、見て判断する者の裁量ということになる。


仕事が出来ない人は、ぐにゃぐにゃごにょごにょした曖昧なまとまりからいきなり結果を作ろうとするから、プロセスと結果に大きな違いがあるように見えるが、出来る人は微小なサイクルでプロセスであり同時に結果であるアウトプットを出して積み重ねるので、どの時点のものをとってもある意味結果であり同時にプロセスなので、プロセスと結果の違いは実はほとんど無い。




ピーリング
好きな人とイチャイチャするのは楽しいことではあるが、システム作るのに評価軸を人間に持ってこられてもねぇ。


人の好き嫌いを軸にするということは、ぶっちゃけバグがあっても納品漏れがあってもスピード違反しても人を殺しても、好きな人だったらOKで、誤字があったとかちょっと遅刻したとか停止線を5センチはみ出しましたということでも、嫌いな人がやったらNG。


よく言われることに、セクハラとは何をやったかではなく、誰がやったかだというのがあるが、まぁ世の中けっこうそんなもんですなぁ。マジに金かけてる仕事でそんな基準はないだろと考えるのは油断だった。


職場の若い世代には、どんどん乙女系男子やらギャル男が増えてるから、この先はそういう人の好き嫌いベースの閾値で仕事する人も増えてくるのだろう。そういう好き嫌い対策ってのを、ある意味コーディングスキルや工程管理並みにスキルとして身につけないといけないのかも知れない。


好き嫌いで仕事するなんてアホかとも思うが、逆に言えば好きにさせてしまえばどんな無理でも通るのだから、微妙な論理判断が必要な仕事をさせるのにはまずくても、手だけたくさん動かせば良いパワープレイな作業をやらせる分には、好き嫌いベースの人は大変都合が良い作業員ということになる。


まぁホント、人生なんでも勉強ですわ。



仕事になったら好き嫌いなんて関係ないと思うんですが、
公私を一緒にする人って多いですよね…



そう、驚くほど多いんで、なんかおったまげます。

そして好き嫌い基準で判断している人の脳内では、自分は極めて公明正大なこれしか有り得ない基準で判断していることになっていて、自分は正しいと信じているから、理を説いて説得しても意味がなくて、情実作戦に訴えるしかないという。

なんか判断基準がどうこうというレベルではなく、信仰の問題のようにも思える。

宗教ってのはその人にとっては絶対だから、上手く使えば飛行機でビルに突っ込ませることも出来るけど、収拾がつかない揉め方をすることも多いというねぇ。



宗教は怖いですよね。
僕は合理主義なところがあるので神も仏も信じてないし、
自分の考えや生き方を左右する程
尊敬する人物もいないのですが…

テロをおこさせることもそうですし、
熱狂的なファンが、自殺したボーカルの後を追うとか…

何事も感情大きく動かしすぎるとよくないと思いますね…



大きすぎる感情は麻薬と同じだと思える。何事も過ぎたるはなお及ばざるだねぇ。

でも権力者からすると、大衆が感情的で、深くものごとを考えない方が支配いしやすいので、感情豊かな方が人間らしくて素晴らしい的なバイアスをかけてくる。

で、感情を爆発させるのは快感で気持ち良いから、みんなついそれに乗ってしまい、みんなで乗れば怖くないってノリになり、ますますアゲアゲになる。

新型インフルエンザワクチンフィーバーとか、南アW杯で本当は弱い日本代表が運良く勝ってしまった時とか、外国から見たらアホ丸出しのフィーバーだったけど、日本人はみんなノリノリで、それに乗らないとKYの非国民扱いだったねぇ。

イラクで自爆テロする人とか、アメリカのカルト宗教で集団自殺しちゃう人とか、あいつらおかしいぜと日本人は思っているけど、日本人もものすごくおかしい。

他人がやることはバカでキチガイだと思ってるけど、自分らの身内がやることはサイコーですと思っているのだから、本当に人間ってのは感情の動物です。